富山県ご朱印めぐり 富山市 富山縣護国神社

富山縣護国神社の参道です。

北陸ご朱印めぐり 2022年3月の旅、最後の参拝した神社は「富山縣護国神社」です。

目次

富山縣護国神社の由緒

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この磯部の地には、慶長三年、佐々成政が別園 を築き、休憩所を建てたと云はれ、遙か東南に

御鎮座されてゐた樫葉神明社にたびたび参拝されたと 云ふ由緒ある所です。

ここに大正元年九月二十五 日、富山縣會に於て、「富山縣招魂社」として創立認可され、

時の縣知事濱田恒之助が建設委員長となり、翌大正二年八月、神明造りの本殿、拝殿、 神饌所、

手水舎等の竣功をみて御鎮座されました。

その後内務省、護國神社令により昭和十四年四月一 日、「富山縣護國神社」と改稱し、

間もなく奉賛會が結成され、縣民あげて奉賛されてきました。

富山縣護国神社

富山縣護国神社の参道です。

なんと、土俵があります。

富山縣護国神社の中にある土俵です。

富山縣護国神社の社殿。

動画も撮りました。こちらから👇

https://www.youtube.com/watch?v=ZufXBqt24dg

御朱印

富山縣護国神社のご朱印

夢にだに忘れぬ母の涙をばいだきて三途の橋を渡らむ

この御朱印に書かれてある歌は、富山縣護國神社にお祀りされてをりま す高田豊志命が御家族様宛

に遺言としておくられた最後の手紙の中の「母 上さま」宛とした歌でございます。

高田豊志命は昭和二十年五月十三日、飛行第二十戦隊陸軍伍長として台 湾宜蘭基地を出撃、

沖縄本島西海岸に群がる米艦船に体当たりし散華され ました。

父團次郎さんが、八十歳になられた時、戦後久しく仏壇に収められてみ た白木の箱の中に

「うた日記」を発見されました。この「うた日記」には、 高田豊志命が昭和十八年の三月から

二十年の四月まで、毎日和歌を作るこ とを志し、和歌七八三、俳句十七、詩文九が書き綴られて

をりました。こ の「うた日記」は遺芳館に展示されてをります。

 

まとめ

やっぱり、護国神社はどの県に行っても広い敷地の中にあります。残雪の少なく整備されて

いました。

変わっているのは、ご朱印です。

Omairiサイトはこちらから👇

https://omairi.club/spots/78965

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この記事を書いた人

ブログは2020年10月から始めました! 現在、警備員の仕事をしています。自作高配当株ポートフォリオを作って資産形成をしていますので、その内容を公開します。
今までは一人旅の様子も紹介していましたが、今後は別のブログで公開します。
「一人旅で御朱印めぐり」のブログもよろしくお願いします。(2023年1月公開予定)

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