2022年のJALステータスの目標達成と息子に会いに関西に行ってきました。そして、もう一つの目標「勅祭社巡り」の達成の為に、京都府、奈良県を訪問しました。今回は奈良県にある「御霊神社」を紹介します。
御霊神社の由緒
当神社は延暦十九年(八〇〇年)人皇第五十代 桓武天皇の勅命により御創祀された社です。
御祭神の井上内親王は人皇第四十九代光仁天皇の皇后で聖武天皇の皇女にて称徳天皇の異母姉で
あります。
宝亀元年(七七〇年)白壁王が即位され光仁天皇となられると同時に井上内親王は皇后になられ
翌年には御子他戸親王も皇太子となられました。しかし宝亀三年(七七二年)天皇を呪詛したと
疑いをかけられ皇后位を剥奪され、他戸親王も皇太子を廃され、大和国宇智郡(五條市)に幽閉
されたのち宝亀六年(七七五年)四月二十七日、母子ともに薨去されました。
奈良時代の混乱と政権争いの中で、光仁天皇の第一皇子で渡来氏族の高野新笠を母とする
山部親王(後の桓武天皇)を擁立する藤原百川の策謀によるものと伝えられています。
薨去後、都に天変地異が相次ぎ疫病が流行した為、母子の祟りと恐れた天皇は諸国の国分寺の
僧侶六百人に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし、吉野皇太后の追号を贈り、
手篤く慰霊されました。
奈良時代、平安時代の人々は無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊と
なって災いを起こすと恐れました。しかしその怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護して
くれる神になるという風に考えるようになりました。これが御霊信仰の始まりです。
宝徳三年(一四五一年) 土一揆により元興寺金堂以下主要堂宇が火災で焼失し、井上郷
(奈良市井上町)の井上御霊社も焼失してしまいました。その後、現在の地に遷座され、元興寺の
鎮守社としての役割を持つようになり広く信仰されるようになりました。
御霊神社
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御朱印
まとめ
車を駐める場所が無く、息子が車に乗ってまっていました。小さな神社です。
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