北陸ご朱印めぐり 2022年3月の旅、最後の参拝した神社は「富山縣護国神社」です。
富山縣護国神社の由緒
寺社人気ランキング 富山県 12位 全国 1168位
この磯部の地には、慶長三年、佐々成政が別園 を築き、休憩所を建てたと云はれ、遙か東南に
御鎮座されてゐた樫葉神明社にたびたび参拝されたと 云ふ由緒ある所です。
ここに大正元年九月二十五 日、富山縣會に於て、「富山縣招魂社」として創立認可され、
時の縣知事濱田恒之助が建設委員長となり、翌大正二年八月、神明造りの本殿、拝殿、 神饌所、
手水舎等の竣功をみて御鎮座されました。
その後内務省、護國神社令により昭和十四年四月一 日、「富山縣護國神社」と改稱し、
間もなく奉賛會が結成され、縣民あげて奉賛されてきました。
御朱印
夢にだに忘れぬ母の涙をばいだきて三途の橋を渡らむ
この御朱印に書かれてある歌は、富山縣護國神社にお祀りされてをりま す高田豊志命が御家族様宛
に遺言としておくられた最後の手紙の中の「母 上さま」宛とした歌でございます。
高田豊志命は昭和二十年五月十三日、飛行第二十戦隊陸軍伍長として台 湾宜蘭基地を出撃、
沖縄本島西海岸に群がる米艦船に体当たりし散華され ました。
父團次郎さんが、八十歳になられた時、戦後久しく仏壇に収められてみ た白木の箱の中に
「うた日記」を発見されました。この「うた日記」には、 高田豊志命が昭和十八年の三月から
二十年の四月まで、毎日和歌を作るこ とを志し、和歌七八三、俳句十七、詩文九が書き綴られて
をりました。こ の「うた日記」は遺芳館に展示されてをります。
まとめ
やっぱり、護国神社はどの県に行っても広い敷地の中にあります。残雪の少なく整備されて
いました。
変わっているのは、ご朱印です。
Omairiサイトはこちらから👇
コメント