富山県ご朱印めぐり 富山市 於保多神社

北陸ご朱印めぐり 富山県です。ホテルJALシティ富山を9時に出発してまず参拝したのが 於保多神社です。紹介します。

目次

於保多神社の由緒

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当神社は、畠山氏の祖である恵頸が、弘長三 年(一二六三年)浄禅寺に菅原道真公をお祀り したのが

始めとされる。

加賀藩三代前田利常公の第二子前田利次公は、 寛永十六年六月二十日富山十万石を与えられ、

翌年(一六四〇年)十月富山藩の初代として、城に入り婦負郡と上新川郡の一部を治めた。

利次公は、崇祖の念至って篤く、特に前田氏 の先祖菅原道真公を崇敬していた。

万治四年(一六六一年)五月、利次公は、浄禅寺を事故等に よりいたち川辺の天神町に移転した。

寛文五年(一六六五年)利次公は、奇瑞あっ て浄禅寺境内に菅原道真公 (天神さま) を祀る

「天満宮」を創建し祈願所とした。その後、水害等 により、宝永五年(一七〇八年)三月

富山藩三代前田利興公が柳町(現在地)へ遷座し本殿・ 拝殿を造営した。天神信仰は藩の保護の

もと、 庶民の間に広まった。

文化七年(一八一〇年)富山藩九代 公は、富山藩祖前田利次公の霊を追尊し守として「国玉社」を

創建した。慶応四年三月「神武創業ノ始」に基づき「諸事御一新祭政一致之御制度」に復すること

が布告、神仏判然令が発令され、これにより神仏分 離となり浄禅寺は梅沢町に移った。

明治六年旧藩士族が国玉社を当天満宮へ合 の請願をした。教部省の命により同年十一月

「於保多神社」と改称し、相殿として祀られ、明治 七年三月郷社に列せられた。

明治七年十一月十八日天満宮の称を廃し「於保多神社」と改称し、明治九年四月七日県社兼郷社と

なった。

於保多神社の由緒が記載されている看板です。

於保多神社

於保多神社の第一鳥居です。

ここ於保多神社は、雪国なので、社殿の中にのぼりなどがあります。

当社の創始は、弘長三年で、菅原道真をり、後に富山藩祖前田利次、二代藩主正甫、十代藩主利保

を合祀した。(通称柳町天満宮と言い、古くから地方住民の信仰があつく、明治六年に於保多神社

と改称し、同九年には県社となる。

 

動画も撮りました。

https://www.youtube.com/watch?v=bP2MrZj5ef4

https://www.youtube.com/watch?v=yoOH6HxnMsg

 

御朱印

まとめ

社殿は大きくなのですが、敷地は結構広い神社です。朝一番で参拝しましたが、直書きでご朱印

を戴きました。

Omairiサイトはこちらから👇

https://omairi.club/spots/79657

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この記事を書いた人

ブログは2020年10月から始めました! 現在、警備員の仕事をしています。自作高配当株ポートフォリオを作って資産形成をしていますので、その内容を公開します。
今までは一人旅の様子も紹介していましたが、今後は別のブログで公開します。
「一人旅で御朱印めぐり」のブログもよろしくお願いします。(2023年1月公開予定)

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